電動超特急ひかり号の中間車

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公開:2021年12月23日
最終更新:2021年12月23日

1964年に発売された「電動超特急ひかり号」は言わずもがな東海道新幹線の電車をモデルにした製品でしたが、営業用に作られた0系ではなく、試験車両の1000形をモチーフとしていました。
運転席の窓が曲面なところと、客用ドアの窓が正方形に近い形状をしているのがその証です。そして車体色に至っては赤い台車に白いボディーという、見た目も色も実際の新幹線とはかけ離れた、いわば「新幹線っぽいもの」に過ぎませんでした。

▲発売当初の「電動超特急ひかり号」。箱写真の姿を期待しながら箱を開けたらこれが出てきた当時の子供は何を思ったのだろうか。

▲製品のモデルとなった新幹線1000形電車A編成の模型。ドア窓や運転台窓の形状に注目!(京都鉄道博物館)

当然、子供が憧れる夢の超特急のおもちゃが実物とかけ離れていると不満も続出(したかどうかは不明ですが...)するわけで、1970年には先頭・後尾が金型を一新され、1971年内に帯モールドを追加、そして1972年には塗装が実物同様の青白の装いとなり、 発売から約8年をかけてようやく本物に近づきます。
そして1976年には新規で金型が起こされより一層本物らしくなり、旧動力時代から続く0系新幹線の金型は2014年まで生産され続けた歴史の長い車両となったのでした。めでたしめでたし。
・・・さて、今回のメインテーマは「電動超特急ひかり号の中間車」です。そうです。コイツは母体が絶版となった後も、2002年まで生き延びた唯一の1960年代発売の車両なのです。

▲連結器が金属製フックである最初期の「電動超特急ひかり号」の中間車。
ドア窓が上の1000形と似ていることが分かるかと思います。

▲1965年頃に先頭車のモーターボックスが変更されたことに伴い、中間車と後尾車にも改修が入りました。
連結器がプラ製となり、メス側はボディマウントに。

1970年まではこの姿で「ひかり号の中間車」として第一線で活躍していましたが、1970年から71年にかけて変化が起きます。実在車両製品の拡充です。
その流れの中で、夢の超特急である0系新幹線として生まれたこの中間車は、「とっきゅう」の中間車、そして「D-51きゅうこうれっしゃ」の客車に流用されてしまいます。

とっきゅう
D51きゅうこうれっしゃ
▲1971年に発売された「とっきゅう」と「D-51きゅうこうれっしゃ」では、それぞれ151系電車と10系客車らしきものに化けました。

▲それぞれの中間車。車体をそのままに色だけを変えたので、「とっきゅう」は実車とは異なりクリーム一色の車体、「D-51きゅうこうれっしゃ」では客車のくせしてパンタグラフが付いています。

これら2種に化けたひかり号の中間車はそのまま定着してしまいます。そして前述の通り、1971年に帯モールドの追加が行われ、1年ほどモールド入りの赤白で生産された後、ひかり号は1972年の新製品「超特急ひかり号」以降、青と白の塗り分けになりました。
ここで3製品で車体を共有していた中間車の動向に変化が起きます。客車の場合はパンタグラフも帯モールドも不要だと判断されたのです(そりゃそうだ)。1974年までにパンタグラフが無くなりました。 ファンの間ではこの客車は完全に別物とされ、「急行客車」と呼ばれることが多いです。

▲1972〜76年の間はこの3種類が共存。「ひかり号」と「とっきゅう」は中間車を共有していますが。「きゅうこうれっしゃ」の方は別物になってしまいました。

1976年に「ひかり号」の金型が一新されたことにより、新幹線としてデビューしたこの車体は本来の役割から引退。 また、1976〜79年の間の「電車箱」世代では「とっきゅう」も「D-51きゅうこうれっしゃ」も発売されていないようで、一時的に過去のプラレールになります。
1979年、EC箱に移行すると同時に「特急電車」「D-51急行」と名称を変えて復活しますが、後者は翌1980年に絶版になってしまい、以後は「特急電車」の中間車として生き残ります。この時に窓上の細い帯のモールドも追加され、完全に151系として商品開発が行われていることが伺えます。

▲「特急電車」として再登場した中間車。帯モールドを利用して窓周りにも塗装が施され、151系らしい見た目になりました。でも車体は新幹線です。

その後は単品ラインナップとしてしばらく発売され続けますが、1958年デビューの151系は既に国鉄特急電車としては陳腐化。世は既に「電気釜」と呼ばれることもある485系・183系の時代になっていたのです。
そして、151系は老朽化が進行したことで1982年に引退します。151系由来のボンネットを受け継ぐ485系初期車はまだまだ現役でしたが、モデル車両の引退を追うようにしてプラレールの「特急電車」も1983年に絶版となってしまいました。
「電動超特急ひかり号」としてデビューした車体は、新幹線・特急電車・客車の3種類の装いを経て、19年の歴史に幕を閉じます。

それから16年経った1999年。プラレール40周年を記念して様々な記念商品が発売されました。その中にヤツがいました。

プラレール40thアニバーサリーアルバムで「D-51急行列車」が復活!!!

どういうわけか、復刻品として「D-51急行列車」が選ばれました。客車として改修されたパンタグラフ無しの金型が残っていたのですね。
記念品なので当然一発ネタです。急行列車として発売されるのはこれが最後になりました。「ニューひかり号」の系譜にある「ライト付ひかり号」も復刻されており、新旧ひかり号の中間車が入っているのが面白いセットです。

ところで、前述の通りボンネットの先頭車を持つ485系(489系)の方は新世紀に入ってからも現役を続けていました。つまり、まだ主役として頑張っていた特急電車がプラレールには無いという状況になっていたのです。
ただ、今更通常品として発売するにはウケが悪い車両であることには間違いなく、製品のデフォルメ自体も既に時代遅れな感じ。今更復活することは...と思われていたであろう、2002年。なんとプラレールの日限定品として発売されます。

ボンネット特急白鳥(2002年)
▲当時はまだ運用があった「白鳥」として製品化。JRマークの印刷、屋根の塗装化などのグレードアップが行われました。

▲あの中間車ももちろん復活。元はと言えば白一色だった車体が見違えるようになりました。

発売当初のレールと今日買ってきた新品のレールが繋げられることが大いなる特徴のプラレールですが、車両は時代によってどんどん変化していきます。 その中で最初期に当たる1960年代に作られた車両が2000年代まで生き残ったのは、このひかり号の中間車のみです。こうやって調べてみるとやっぱり面白いおもちゃですね。プラレール。

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