「ご無沙汰です」
久しぶりに会ったM氏。資料館の開館以前から支援してくれているプラレーラーの一人だ。
「河岸を変えましょう」
居酒屋に入ろうという意味だ。夕暮れ時の街を少しふらつき、古くからある店に入った。
「例のものを持ってきましたよ、館長」
酒を飲むこと1時間。会話が盛り上がってきたところで、M氏が切り出す。
新聞紙に包まれた例のものを鞄から取り出した。
「気をつけてくださいよ、館長。もちろん分かっているでしょうけど」
「分かってますよ」
M氏はたばこに火をつけ、少し燻らす。「まさか見つかるとは思いませんでしたよ、これ」
そう言うと、包装を解いてテーブルに置いた。
これは私もモニターで見ていた。世代的に発売されていておかしくないはずの電車箱のED-70。だが長い間見つからず、その存在すら怪しまれた製品だ。それが突然インターネットに現れた。そして...
「お貸しします」
3時間くらい飲んだだろうか。会計の段になり互いに財布を取り出すと、M氏が財布の中身を見て眉間に皺を寄せる。「割り勘でいいですか?館長」
「それではまた」と地下鉄の駅に入り、それぞれ別方向に帰る。
資料館の事務所に戻った私は改めて包みから箱を取り出した。「本物だ。間違いなく─────」
巷間では今でも、幻と呼ばれるプラレールが多数ある。
ロータリーじょせつしゃの単品、電車箱のEF15・ED70、牧場セット、牧場踏切…などなど。
私の情報網をもってしても、それらを見つける事は困難を極める。
先人たちも見つけていないというのだから、もしかしたら存在していないのかもしれない。そう諦めてとうの昔に探すことすらしていなかった、その矢先の出来事である。
ある日、電車箱のED70がインターネットオークションに現れた。壮絶な入札バトルが繰り広げられ、今回お会いしたM氏が落札したのである。
とんでもない値段で終わったのだが、その落札者・M氏から後日連絡があり、今に至る。彼は以前にもとある珍しい品を寄贈してくれている、影の協力者だ。
M氏は電話口で「本当にとんでもない値段になってしまいましたが、それほどの価値があるということです。一旦館長さんにお預けします」と告げた。
かくして、プラレール資料館に新たな収蔵品が追加された。お見せしよう、その姿を!
黄色地の電車箱に「ED-70」と印字されているステッカーが貼られている、先頭車単品の電車箱としては普遍的なスタイル。
電車箱のページを見た方はお気付きだと思うが、デザインとしては3両単品と同一である。
「乾電池の入れ方」の記載があることから、電車箱世代の中では後期のもの。
箱の裏面。右上のMADE IN JAPANの隣にあるG-26という付番は製造年度を表しており、1977年3月から1978年2月の間に製造されたものと分かる。
時代を感じるラインナップだ。
箱の上面。前面同様、プラレールのロゴとトミーのロゴが左右端に配置されていて、面積は狭いもののバランスが取れたデザイン。
文字・ロゴ・イラスト共に全てブラウンで統一され、黄色の地色に馴染んでいる。
箱の底面はイラストがびっしり。
「プラレール」のロゴがちょうど3両分の幅となっているのが電車箱のデザインのポイントだ。
ステッカーのアップ。白地に黒いインクで印刷されておりかなりシンプルなものだが、直線で構成された枠で商品名が囲まれているという往年の新聞の見出しのようなデザインがアクセントを出している。
電車箱はその短い生産期間ながらバリエーションがあり、前年に発売されたものと比較するとかなりの違いが見られる。次に紹介するのは1年違い(製造年度G-25)の箱の違いだ。
地色とステッカーの違いが最も目立つが、STマークが箱に直接印刷されているところもステッカーへの印刷となった翌年度の箱との大きな違いである。
裏面の比較。電池の入れ方が商品名別になっている他、「あそびかた」の有無、「先頭車」と「先頭車動力付」の違いなどが見受けられる。
上面の比較。基本レイアウトに変わりはなく、「先頭車」と「先頭車動力付」の違いのみ。蓋と底面も同様なので紹介は省略する。
上下箱③時代にはリターンレール付きで発売されていたが、電車箱になってからはレールが省略されてしまっているのが特筆できる。レールは単品でも買えるだろうという判断が下されたのかもしれない。
カタログ上、絶版となったのは1978年のようだ。電車箱の生産期間は1976年からなので、今回比較用として紹介したD-51と同様の箱や、商品名が印刷されている個体もあると思われる。さらに、車体が緑色の個体も出回っていたかもしれない。電車箱は未だ研究途上の箱であり、前述したのはあくまで推測に過ぎない。
一度見つかったものは再び出てくることが世の常であるが、果たして… ともかく、これで謎多き電車箱世代の解明が一歩前進した。
今回、現物を見せていただいたM氏には心より感謝を申し上げます。
令和4年6月吉日