旧型でんしゃ
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RELEASE:2022/08/02
LAST UPDATE:2022/08/02
時に、西暦1967年。電動化の成功で車両の充実を図ったプラレールは、当時の新性能電車101系・103系をモデルにした製品「電動プラ電車」を発売した。
中央線をイメージした赤色、総武線をイメージした黄色、そして山手線をイメージした緑色の3色が発売され、後に京浜東北線をイメージした青色も登場、プラレールの世界に彩りを加えた。
こうして首都圏の主要路線が揃ったことになるが、東京都心を貫く京浜東北線だけは、60年代後半になっても茶色の電車「旧型国電」が走っていた。
ある時、沿線に住む子供がデパートのおもちゃ売り場で言った。
「茶色の電車もほしい!ぼくんち近くの電車は色が2つあるんだよ!」
子供にとってごっこ遊びが出来ないというのは致命的。なかなか新型車両への置き換えが完了しない京浜東北線沿線の子供は不満を募らせ「いや、僕は貨物派なんだが?」と斜に構え、「D51きしゃ」と「かもつしゃりょう」を大量に買い込んだという。
大阪万博が開かれる1970年になっても、京浜東北線では茶色の電車がひた走る。ハイウェイの真ん中を通る銀色の北大阪急行がこっちを見て笑い、太陽の塔は強烈なキセノン光を放ちエキスポタワーと対峙する。
茶色の電車はプラレールにならないのか。茶色の電車を出してくれ。
ある者が言った。「庭にプラレールを植えてごらん」
なに?プラレールは植物だったのか?
仰せのままに。子供は電動プラ電車を庭に植え、水をやる。すると...
73系!73系じゃないか!
まごう事なき茶色の電車だ!やったぞ!子供は大喜びし、他のプラ電車を取り出して秋葉原ごっこを始める。
いいじゃないかいいじゃないか。これでこそ国電だ。京浜東北線だけじゃない、南武線にも鶴見線にも青梅線にも横浜線にもなるぞ。遊びの幅は無限大だ。
しかし、1970年後半になると中央線から101系が転属してきた。これで残っていた旧型電車は全て置き換えられ、1971年に姿を消した。
1971年のクリスマス。サンタクロースが子供のもとに現れる。
「茶色のプラ電車はいるかい?」「いらない」
即座に断った。
セット品が生えてくることもあったそうな。
みんなもメッキが禿げたニューでんしゃを使ってキミだけの電車を作り上げよう!